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人同じからじ

年々(ねんねん)歳々(せいせい)花あい似たり
歳々(せいせい)年々(ねんねん)人同じからず
          宋之(そうし)問(もん)

正月の慌ただしさもやっと落ち着いた。年末・年始を振り返ってみる。昨年は「喪中につき年賀の挨拶を欠礼いたします」という文面の葉書が増えたように感ずる。年末独特のこの挨拶状は年々多くなる。今回は、教え子の遺族からの教え子が亡くなったから、というのも数通あった。賀状を遣り取りとしてきた人の家族・血族のご不幸もさることながら、本人の他界、それも私より若年者の訃報には驚き、哀しさがつのる。

 私の同年配の知人・友人は70歳前後である。この人たちの訃報が増えてゆくのは、いわば自然の成り行きであるが、50代、60代の人が亡くなると、若すぎると思う。

 例年、12月に入ると、ぼつぼつ「欠礼状」が届く。賀状発送控え帖のその人欄に×印をつける。差し出し相手本人が他界された場合は斜線を引いてその人の氏名・住所を抹消する。

 松飾を外すと、頂いた賀状の整理にかかる。届いた賀状を仕分けして、あ・い・う・え・お順に記名している欄に頂いた人には赤丸をつける。こちらから出した人にはその上に青丸を付ける。青丸と赤丸が揃うと、彼・吾ともに変わりなく新年を迎えたと実感する。

 今年その作業を終えてみると、×印や抹消を示す二重横線がたくさん加わっている。人の世の無常を想う。そして、とにもかくにも元気で新年が迎えられたことを有り難く思わねばと自分にいう。

 庭の梅や辛夷の木の芽はすでにかなり膨らんでいる。草木は、時が廻ると、必ず花を咲かせ、実を結ぶ。人はそうとは限らない。夭折する人、天寿を全うする人、様々である。やがて、間違いなく、私にも、死が訪れる。不易な花と定めなき人の世。めでたい気分に哀れの情(こころ)が混じる。

 『徒然草』で次の言葉を見つけた。「人皆(みな)生(しょう)を楽しまざるは死を恐れざるが故なり」。残りの時間が幾らかはわからないが、命ある間は人生を楽しまなくてはと思う。

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コラムニストプロフィール

槙原 茂 (まきはら しげる)

元公立高校教員という経験を活かし、情緒、風情あるコラムを掲載します!

【 経歴・バックグラウンド 】

  • 1940年旧大原郡加茂町に生まれる。現在まで雲南市加茂町在住。
  • 1944年父戦死
  • 1963年島根県の公立高校教員に採用される。以後定年退職まで島根県内の 幾つかの高校で英語を教える。
  • 1995年10月から島根日々新聞でコラム『木漏れ日」、「プリズム」に拙文を寄せる。

【 家 族 】
母、妻、長男(東京在住)、長女(シドニー在住)

【 著 書 】
詩集: 『水脈』
エッセイ集: 『四季の賦』、『終着駅にて』

【 趣 味 】
山歩き、スキー、釣り、詩作

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